食事と健康〜健康とは?〜

2健康とは?

どんな人も多かれ少なかれ意識するキーワードであることは間違いない。

個人的に定義すると

健康思考がクリアで、体調がよく、行きたいところに行けて、やりたいことが不自由なく出来る状態。

といったところか。

一般的な欲望

幸せになりたい、

お金持ちになりたい、

あんな仕事をしたい、

こんなスポーツをしたい。

つまり、

なりたいこと、

したいことのほとんどは

健康であることが前提であるはずだ。

健康は欲望の根源、

最も底辺、といえる。。

動きやすさという観点から人の健康獲得の手助けをするのが我セラピストの仕事の一つである。

しかし、

自分自身や家族はどうだろう?

自信をもって手助けできるといえるのだろうか?

家族に不調があってもどうしたらよいかわからない。

自分が不調でも同様で、巷にはありとあらゆる情報があふれ、何から手を付けてよいかわからず、いろいろと頭を悩ませた結果、ただ不安になるのが関の山というのが現状ではないだろうか。

我セラピストを大工に例えてみると、

使う道具手

工程アプローチ

建物身体

といったところか。

人間の身体自体はもう完成形だから、

建物は出来上がっていると考えて、

どこかを修理するとした場合、

その資材、例えば柱に使う木が腐っていたら、

どんなにすばらしい道具や技術があっても意味がない。

資材はどのように構成されているか、という視点で考えると、人間を構成する要素のほぼ全ては外部から摂取した栄養素によって作られたものということになる。

いくらアプローチで整えても、

いくら効率のいい運動をしても、

その構成体自体に不具合があれば機能的に働かないのは明白である。

動きやすさを追求するために、

そしてそれが多くの人に適応できるように、

まずは食事から健康、障害予防を考え直さなければいけないのではないだろうか。

リハビリテーション部門は運動器を専門とする分野であり、栄養や食事に関しては、専門分野ではないかもしれない。

しかし

前述したように、その柱は何からできているのか?という視点で考えると無視はできないし、

現代の医療は、内科は内科、整形外科は整形外科というように分科して進化してきた学問であり、対症療法が主要な処置であるのは否めない。

身体の相互作用をないがしろにしてきた西洋医学に限界を感じるのは私だけではないはずである。

もちろん

これだけ平均寿命が延びて、救命医療や処置によって助けられた命が飛躍的に増加したのは近代医療の発展があったからに他ならない。そして今後も西洋医学的視点や処置は必要である。

ただし

昨今の生活習慣病の増加、一部の医療者や一般の方が注目しつつある統合医療的視点、予防医学的観点からしても、もっとより多くの人が、身体が作られていく仕組みにクローズアップしてもいい時期に来ているかと思う。

さて、

ではその仕組みについて

たどっていくと

ヒト一人の身体は、

およそ60兆個の細胞からなり、

細胞は分子が組み合わさって構成され、

分子は原子元素が集まって構成される。

1個の細胞はおよそ500兆個の原子からなるといわれている。

原子は生物ではないが、

その寿命は

諸説あるものの、

10の32乗年!

とも言われている。

少なく見積もって、10の8乗年くらいだとしても

1億年もあるわけだから、恐竜が地球上にいた時代から現代まで

同じ原子が存在していることになる。

人が死んで土に帰る、あるいは火葬される。火葬された場合、骨の一部以外は大気中に拡散し、大気中を漂ったり、雨となって地表に降り注いだり、海に流れたりする。

つまり地球上に存在する生物のほとんどを構成するおおもとの物質は、入れ代わり立ち代わり循環していると考えてよいわけだ。

細胞の寿命は部位によって様であるが、

目の角膜だと約1週間、

皮膚は約4週間、

赤血球は約4か月、

骨は1年〜3年とも言われている。

つまり5年もすれば、

見た目は同じでも構成される物質は

全てリニューアルされていることになる。

つまり

古代より循環している原子を

食事から排泄による一連の流れによって

体内外に循環させることで

我は生きながらえている。

そして

より良く生まれ変わっていくためには食事が重要であるのは言うまでもない。

より良い食事によって

より健康な身体を手に入れるためには

どうしたらよいのだろうか。

一番底辺にあり、最も基本的な要素でありながら、

より健康になる、あるいは健康を維持するということは

そう簡単ではないように思える。

情報とモノがあふれているからである。

まずは情報収集の仕方について考えてみる。

口から摂取するものについて、

食品添加物はよくない。

コンビニ弁当はよくない。

薬は副作用があるからなるべく避けたほうがいい。

そうかと思えば

それらは

さほど気にしなくてよい!

などと真逆の情報もヒットして

何を選択したら良いかわからなくなっている。

これは巷に流れる情報を軽くつまむように、

あるいは聞き流すようにしていることによって生じる。

誰かの噂?話とか、

テレビでちらっと見たとか、

何かでサラッと読んだとか、である。

そうではなく

ターゲットを絞って情報収集し、取捨選択をする必要がある。

情報収集をすること自体はさほど大変ではない。

その気になればいくつかの情報を集めて統合し、

おおよそ正しいだろうと思われる解釈を導き出すことは可能である。

注意点は、その情報源がどこかという点である。

スポンサーがついているようなメディア、利権が絡む大手企業、非営利団体なども寄付などの利権が絡むため、情報の偏りが生じる可能性がある。医療機関も法律や倫理的な部分など社会的諸問題をはじめ、製薬会社との利権により偏りがある可能性は否めない。各種研究機関も同様である。ネットの情報も単発のモノは疑ってかかってよし。例えばQ&Aの回答者、コメントを送ったものが匿名だったような場合、利権がらみ、あるいはその時の個人的感情から投稿している可能性もある。

いずれにしても偏った情報は疑ってかかってよし。

陰陽の法則ではないが、際立ってよいモノの影にはマイナスの部分もある。

これだけやればよい!

あれだけ避けておけばいい!

これはダメ!

という限定的なものは偏った考えだと理解してよい。現在科学において生物や病気の謎が解明できていない現状であれば尚更である。これら我が陥りやすい考え方に関しては、最終章で触れることにする。

そのような中で、癌や難病、生活習慣病に罹患した本人や家族の闘病記録はあらゆる情報が統合されて記載されていることが多い。数年にわたる闘病記録にて、様な情報を元に実践した結果や食の失敗、成功などが細かく記されている。利権はほぼ絡まない。個別性があるため、そのまま鵜呑みにはできないが、営利目的のモノよりはいくらか信憑性がある。

ただし今現在続いているものは、どの程度良くなったか確認し、終わっているものは最後の報告があるものが良い。

途中で予告なく終わっているものはその後の経緯が不明なため、いささか不安を残す。つまりハッピーエンド?的な情報を拾うのが良い、ということになる。

様な情報を読み取り、それらをまとめたりする作業を進めていくと、ある時点から、その情報の意図する傾向が読み取れるようになる。そして取捨選択も容易になってくる。

やはり

その点では

なかなかショートカットできず

時間と労力は要してしまうのは致し方ない。

情報収集のまとめとして

複数の情報源で同じ見解の中で整合性があればある程度信用でき、現在はそう考えられている、と捉える。

バランスよく受け止め、考える柔軟性が必要であり、俯瞰ふかんした捉え方が重要である。

まだまだ

人の身体自体が未解明で、わからないことも多い。

決めつけて考えないことが必要。

ただ

1年以上この分野に傾倒してきた結果、

やみくもにやるのと、ポイントをおさえて進むのとでは

全く異なることを実感できた。

それらの情報を統合し、解釈したものを

わたしというバイアスがかかった状態ではあるが

少しずつお伝えしていく。

続く