人との愛

五連休で家に引きこもって色考えたし、

人となかなか逢えなくて寂しくて仕方なかったり、

家族や友達や彼氏といった身近な人の大切さに気づいた。

連休初日の山の日は、15年間の仲である親友と3月ぶりに遊ぶ事が出来た。

彼女は高校卒業と同時に保育士になるため、県外の短期大学に進学した。

しかし、就職は自分の産まれた地で、偶然ながら誕生日に行ったと聞いた。

就活を終えた彼女はどこか大人っぽくて芯の強い女性に見えた。

出身地に戻って仕事をするというのは、やっぱり嬉しい。

私は介護福祉士を目指しているが、同じ福祉関係者として携われる事が誇らしい気分にさせる。

来年度は成人式もある。

また、二人で定期的に会いつつ、頑張っていけたらいいなと思う。

そして、人の寂しさについて。

寂しさってなんで感じるのだろう?

孤独、不安、認めて欲しい

そういう気持ちから生まれるものだと思う。

自分が社会から切り離された時、

他者と交れなくて自分を証明出来ない時、

ものすごく不安な気持ちに駆られることがある。

なぜなら、自分を知るには他者という鏡を使わないと証明する事が出来ないからである。

だから、人は誰とも関われずに一人でいるとき、ネットに依存する。

ネットは他者と繋がれる現代人のツールだ。

もはや、調べ物をするというよりも、

自分というものを顕示する

使い方をしている人達の方が多い。

まだアイデンティティを確立していない思春期世代はそれが顕著である。

YouTubeTwitter、LINE、Facebookで自分をアピールする。

他人からの何らかのアクションを貰う。

いつしか、それは麻薬のように求めることを止めることが出来なくなる可能性ある。

そこから、他人の目線ばかり気にする生活が始まるのである。

私はそんな生活は甚だ馬鹿らしいと思う。

他人から認められなければ、

自分を保てないのか?

そんなに賞賛が欲しいか?

と言えば綺麗事になってしまうのだろうか。

とにかく、

他人ウケ

よりも、

自分ウケ

を重視して生活して欲しいと思う。

そうすれば、

他人から認められたい寂しさ

というものは消え失せていくはずだ。

インターネットのツールを否定する訳では無いが、目的が他人からの賞賛や評価を得る事にウエイトが傾き過ぎると、自分を見失い、寂しさから他人を求めてしまう。

まずは、自分を持つこと。

それから、相手を認めること。与えること。

そんな事が大事だと思う。

自分から与えず、

愛を求め過ぎるものは

結局何も得る事が出来ない。

愛は与えるもの。

求め過ぎずに、

与えられたら

しっかりと受け取るもの。

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